辻内 正誠 

吉野町議会議員 辻内正誠(つじうち まさなり)のブログ

一般家庭の可燃ゴミはどこまで減らせるか!:実証実験(実施)その1

5月25日  今日は、5月4日以来の可燃ごみ収集にゴミを出しました。(吉野町

可燃ごみ袋の大です)

一人暮らしになったので、ゴミの分別は私次第です。

とことん分別すれば、一人暮らしならひと月に1回の可燃ごみ出しで済むのではない

か?と挑戦することにしました。

 前提として、自炊しています。必要なモノは購入しています。家に毎日住んで

います。

①新聞、段ボール、厚紙、雑誌 等は、村の資源回収日に出します。

②ペットボトル:村の資源回収日 もしくは、近くのスーパーの資源回収箱

③魚や肉、総菜などのトレイ:下側の発砲トレイは近くのスーパーの資源回収箱

生ゴミ:家の横の畑に埋めています-->堆肥になります(動物対策が必要です)

⑤紙(用紙):①と同じ時に資源回収へ(個人情報には注意が必要)

⑥牛乳パック:近くのスーパーの資源回収箱へ

どうしても、可燃ごみに出さないといけないものは、

①プラスチック類(特に総菜の上の蓋がかさばります)

    *これの体積が、ゴミ袋の容量の1/3~1/4を占めます。

②使ったティッシュぺーバー、マスク等

③商品/お菓子等の包装に使われているプラスチック類の袋

④小さな切れ紙(封筒をハサミで切った際の切り口の方 等)

⑤衣類等の布

  とにかく、プラスチック(発砲トレイを除く)と布が最後の問題です。

  これをどうするのか? 研究は続きます。

ちなみに、今回のゴミの重量は、2.6kg。20日間で割ると 130g/日 の可燃ごみ

となります。吉野町の平均は、660g/日・人 なのでかなり少ないです。

     *生ゴミを別処理 と 紙をクチャクチャとして捨てないことが

      大きな要因だと思います。

 皆様も挑戦されてはいかがでしょうか!

「混ぜればゴミ。分ければ資源」です。

      次回をお楽しみに!

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紙と厚紙:村の資源回収へ

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発砲トレイ、ペットボトル:近くのスーパーの資源回収箱へ

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牛乳パック:近くのスーパー資源回収箱へ

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食品トレイの蓋(プラスチック)-->可燃ごみ

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品物の包装--->紙の説明書 と 包装プラスチックは分別

 

村:三茶屋 が少しでも元気になれば!:ワークショップに参加して

5月15日  集う場所(家)を作るワークショップ(みんなでする作業)に

参加しました。

3月31日のブログに書きましたが、「街づくりの幻想」という本の中には、

個人の思いが非常に大切であることが書かれています。

私が三茶屋に持っている空き家(だった家)には、今 30代の女性が暮らして

くれています。

   *いわゆる空き家バンクです。

その彼女から、(コロナ後)に人がどんどん来てくれるような場所(家)に

したいのですが良いですか? という相談がありました。

   *(家が壊れないなら(笑)どのようにしても良いよ と返事をしました。

   *私は、会社生活している時から、何かに挑戦する人が大好きで、その

    気持ちを大切にしてきました。

   *そもそも、私が早期定年退職したのも、形こそ違え 「三茶屋を人が

    来るような村にしたい」との思いでしたから 反対する理由は何も

    ありません。私は、準備完了しています。ただ今、コロナが収まるのを

    待っている状態です。

15日は、庭づくりです。

   *私なら、コンクリートを打って草が生えないようにするのですが、

    ハーブを植えるとか、**という木を植えるとか、 私には

    理解不可能です。

   *田舎のおじさん(=私)にはできない発想です。

私も、参加させてもらって、得意のDIYで、木の椅子づくりをしました。

本日できたことは、庭の木の剪定、庭を耕してハーブ植え、木の椅子5脚、

倉庫の外装のペンキ塗り開始。

これって、私なら、自分一人で、2日~3日でもっと良いものができます。

しかし、ここが田舎のおじさん(=私)のダメな所です。ワークショップ

は、みんなが集まって、作業をすること自体に意味があるのです。

  *私が担当した、椅子が全部できなかったので、残りを時間のある時に

   私一人でしておいてあげよ~か? と尋ねると、次回に

   又、みんなでします。っとのことです。

次回は、水道が引かれて以来使われていない井戸の復活ワークショップだそうです。

  *井戸は、庭の端にあって、水が湧いています。

次回も参加します。

以上です。

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とりかかる前の家先の風景-->半年後にどうなっている?

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みんなで手分けして作業(作業というよりはレクレーション?)

 

 

 

 

5月5日は、学童の日!?(でした(過去形))

5月5日 毎年、吉野北学童保育所の畑づくりと草刈りをしていました。

といっても、家内の手伝いで2時間ほどですが!

もう、10年以上前になるでしょうか?

家内が、学童の駐車場?の一角で、畑を始めました。(畳3畳ほどですが)

旧竜門幼稚園の花壇?の跡だと思いますがはっきりしたことはわかりません。

その畑耕こしと周辺の草刈りが私の仕事でした。

私の軽トラに小さな耕運機と草刈り機を積んで学童構内へ行きます。

   *私が、年に一度だけ、学童の構内へ入る時間でした。

何を栽培していたのかはよく知りません。ある年は、ポップコーン用のトウモロコシ

を栽培し、収穫後にポップコーンにして学童の児童と食べたことや、サツマイモが

私の家の畑より良くできたことを家内から聞きました。

 今年は、家内が他界したことによりその仕事がなくなりました。

 声をかけてくだされば、いつでも手伝いに行くのですが、小中一貫学校に伴う、

吉野北学童の閉鎖が来年4月に決まっている中、あの小さな畑をどうこうしようと

するのもたいへんだろうな~と察します。

 せめて、あの小さな畑で採れた野菜を覚えていてくれる児童/生徒さんやもう大人に

なった方がおられることを期待する5月5日でした。

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吉野北学童保育所の畑:私が整地した後(一昨年の写真より)

5月3日は、田植えの日

5月3日 今日は田植えです!18年前から5月3日は田植えの日です。

18年前に私は父を亡くしました。

当時、私は40歳でサラリーマンでしたので、田んぼ/畑を継続するのは大変です。

田植えは、GWにしなけえればする時がありません。

GWが始まると、あら耕運/草刈り/代かき/田植え と1週間でします。

父が亡くなってからは、家内、妹夫婦と子供の時間が空く、5月3日を田植えの日と

決めて田植えをしてきました。

   *GWに子供と遊びに行ったことがあったのかな~???

おそらく吉野町で一番早い田植えです。会社を早期定年退職した今も田植えは

5月3日です。

今年は、特別な思いがありました。昨年11月に家内の肺がんが解りました。

苗は大宇陀の農協へ注文します。注文は、昨年中にしないといけません。

家内とともに5月3日に田植えをすることを信じて、12月に苗を5月3日引き取りで

注文しました。

残念ながら、家内は3月21日に他界し、田植えを一緒にすることができませんでした。

非常に寂しい田植えでしたが「今年も田植え終わったね!」と家内の声が聞こえて

きました。

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新しい人生のスタート:妻を亡くして一人となって

5月2日 今日は、妻の四十九日でした。

3月21日に妻が亡くなってから、吉野町内をウロウロとすることもなく、

三茶屋でひっそりとしておりました。とは、言っても ほぼ毎日の農作業をして

いましたが!

妻がいなくなって、老後(今が既にその時期なのですが)に妻と話していた二人で

各地へ旅行することはできなくなりました。何を楽しみにこれからの人生を過ごす

のか?をずっと、自問自答しておりました。料理を習う?新しい趣味?ゴルフ三昧?

どれもイマイチ 私にはピンときません。ただ、ひとつ 私が 人生をあきらめたり 

やけくそ にならない理由があります。それは、私が議員であることです。

おそらく議員でなかったら、毎日家の中で、昼からお酒を飲んで過ごしていた(いる)

と思います。私は、先の2月の選挙にて多くの方の票をいただきました。私は、吉野町

に親戚がありません。身内の票は、私自身と妻の2票のみです。たくさんの票を入れて

下さった方を裏切るようなことをしてはいけません。また、私以外の議員さんに投票

された方の中にも私に期待してくださっている方がきっとおられると信じています。

私のこれからの人生は、吉野町のために働くことが第一となりました。

子供は二人とも首都圏で仕事をしています。普段は一人暮らしです。しかし私には

吉野町内いたるところに私の顔を知ってくださっている方=家族がいる と考えます。

この家族のために役立つことこそが、私の新しい人生のスタートです。

ゴールデンウイークが明ける、10日(月)には、立野での 朝のあいさつ運動 を

再開します。また、吉野町内を活動報告を持ってウロウロと歩くとも始めます。

私を見かけましたら気軽に声をかけていただければ幸いです。

以上。

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妻との数少ない二人での写真:天橋立にて

 

 

勉強:この本を読みました「街づくり幻想」

 3月31日

 今、Facebookで友達になっている方の一部?で流行っている本を

読みました。少し長いですが、下記の私の文章を読んでいただいて

興味を持っていただければ幸いです。

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読みやすい本です

要点を私なりにまとめました。

1.吉野町(役場)として自問自答すべきこと(私にはその真実はわかりません)

  ・仲良しクラブになっていないのか? 異なる意見や個人を受け入れているのか?

  ・他自治体の横並びや模倣でない吉野町ならではの取り組みがあるのか?

   横並びや模倣に深い目的もなく予算を付けていないか?

  ・予算の承認をもらうことに全精力を使っていないか?

   予算は、目的ではなく手段であるはず。

  ・コンサルタントに頼り過ぎていないか?

   自分で、判断する能力は残っているのか?

  ・自宅と役場の往復のみで1年を終えていないか?

   吉野町の実情を知らないで、なぜ吉野町を語れるのか?

  ・上司に、意見を言える職場風土か?

  ・過去の事例のみに頼っていないか?

  ・一職員として、吉野町に夢を持っているのか?

  ・職員が、自らに投資して勉強しているか?

   他 多数。

2.吉野町内の各地区(大字)として自問自答するべきこと

 (私にはその真実はわかりません)

  ・昔は良かった の話は終わりましょう。これからどうするのか?に

   話の軸足を置いているのか?

  ・挑戦する人を温かく見守っているか?積極的に応援しているか?

   お店には、様子見ではなくて、行きましょう!

  ・みんなで力を合わせて頑張ればなんとかなる!という幻想を持っていないか?

   (このこと自体は大切ですが、それだけでは将来はありません)

   力を合わせているうちに出てくる 異なる意見こそを大切にしているか?

  ・出る杭を打ち過ぎていないか?

  ・一人の大きな声に、本当に皆が納得して地域が活性化できるのか?

  ・地域の実力者が、次の若手に任せる勇気を持っているか?

   *逆に 若手は、いつまでも先輩に頼って(と言えば聞こえは良いが)

    自分が楽をしていないか?

  ・常に、変化には苦労があることを理解しているか?

   他 多数。

3.議員としての私の行動はどうあるべきか?

 1)結論

   初心を忘れず、民間企業に居た際の心がけと行動を大切にすべきです。

   例えば、吉野町の総合計画作成について、現在は3400万円をかけて

   コンサルタントに依頼しています。私は、昨年3月の議員として初めて

   の委員会で「総合計画こそ自ら職員で作るべきではないのか?それでこそ

   魂が入った計画となる」と発言しました。私が、企業にいたころは、

   総合計画ぐらいの計画は、自分たちで作りました。

   この本にも、「名ばかり総合戦略」として、その有効性を疑問視しています。

   総合戦略(計画)に求められるのは、その冊子や言葉の綺麗さではありません。

   魂が入っているか? その志を実行するか? です。コンサルタントが作った

   総合計画に魂は入っているのでしょうか?役場の職員の志はどうなのでしょう

   か? 総合計画に限らず、コンサルタントの作った事業は、厳しい目でチェック

   していきます。

 2)挑戦する個人を応援する

   吉野町にも、私が知っているだけでも、吉野町外から吉野町

   来られて、チャレンジされている方が数人はおられます。また、

   吉野町に元々おられた方でも新しいことにチャレンジされている

   方がおられます。行政予算を付けることが応援とは思いませんが、

   私でできることがあるなら積極的に応援したいと思います。

   チャレンジャーがいなくなった町は、衰退を待つのみです。

   個人のチャレンジこそが大切な一歩です。

      *私も、そのチャレンジャーになるために早期退職したのです。

   ひとつの(ひとりの)チャレンジが、その地区を変えることができる

   と信じたいです。この本にも「みんなで決めた」は、実は責任者がいない。

   「みんな」という人はいない。といった表現があります。

   みんなの意思の前に私は、「個人の思い」だと思います。

 3)国や県から補助金が付く事業は行ってよいのか?

   作るときは、吉野町の事業者にもお金が入ることになり、雇用も

   生まれて良いでしょう。でも、その後の維持費にずっと町独自の

   お金が使われるようなら慎重な判断が求められます。

   可能なら、収入が支出を上回るような事業であることが望まれます。

   それができないのに許されるのは、町のお金が使われる金額以上の福祉的

   要素が含まれることです。

      *津風呂湖のカヌー場とカヌー艇庫/管理棟の行方には十分注視

       していきます。

(追記)

  今回、この本を Kindleで購入し、Ipadで読みました。

  良い点は、文字を大きくできるところ。慣れないので不便な所は

  付箋やマーカ(を付ける機能はあるのですが)が、やはり実際の

  実物の本の様に感じないことでした。

以上です。

 

3月定例会議:最終日 副町長の再任に反対意見を述べました。

3月22日 本日は、3月定例議会の最終日です。

       (個人的理由で投稿は、23日です)

 

3月10日の本会議で各委員会に付託(ふたく)された、各議案の

採決と他に2件の新たな同意案件の採決が行われました。

結果は以下の通りです。

1)委員会に付託された議案(主に令和3年度予算)

  全て可決

2)副町長の再任の承認

  承認

  賛成:4人 、 反対:4人(私はこの内の一人です)

  賛否同数の場合は、地方自治法により議長が決することにより裁決し、

  承認されました。

    私は、再任への反対意見を述べました。

    理由)町民の信頼を持ち、町長の右腕として町行政を行っていける人物では

       ないと判断します。

    具体的例) 吉野山の観光リフトの件

       本件に関して、中井町長の判断にどうこうは申しません。

       が、本件は北岡前町長の時代に構想された件であり、

       地元関係団体や自治会との過去の協議、いきさつ。合わせて県や

       国との経緯も全てわかっておられたのは、和田副町長です。

       にもかかわらず、十分な事前説明も行わず、突然の白紙中止の決定

       を決めたうえで、関係する住民の方々へ中止の説明をしたことは、

       住民の信頼を大きく損ねることとなりました。合わせて、県や国から

       見ても吉野町の突然の中止決定と受け止められており、県や国の信頼

       を回復するには時間がかかると察します。一方、中井町長が

       新しい吉野町の行政を進めるには住民の皆様から信頼される行政で

       あることが第一であると考えます。町民から信頼を失った副町長が

       中井町長の右腕のごとくおられることは、町行政にとってマイナスで

       あると考え反対いたします。

3)監査委員の承認

  承認

  賛成:4人 、 反対:3人(私はこの内の一人です)

    

     私は、意見を述べませんでしたが、中井町長の監査委員に

     求められる必要要件に十分な納得性を得なかったため、

     反対いたしました。

       *監査委員に任命された議員に反対しているわけではありません。

       *私の反省

        監査委員に求められる、能力や経験を十分に理解していなかった

        ため、質疑 及び 意見を 述べなかったことは大きく反省して

        います。

 

以上です。